*第二話 ソンツ*




ソンツまでの道のりは長かった。
私が落ちた場所は本当に辺鄙な山の奥だったようで、おおよそ人が通らないような急斜面が続き、二晩山の中で過ごした。
山を降りた後は馬車で四日かかった。
女王の話では、あの山もソンツの領地だけれど、あまりに険しすぎて開拓に及んでいない場所だったそうだ。
野生の動物も住まないようなところだと女王はしきりに見下していたけれど、あの山奥であれだけ均整のとれた村を構築する民族が動物以下だとは思えなかった。
民族衣装ややぐらからも高度な技術が感じられ、恐らく、どこかで貿易もしていたんだろう。

女王が強調したいのはソンツがいかにこの世界で強大な存在か、私がどこについたら得かというところだった。
そんなに強く話したところで、今の私にはソンツに行く以外の選択肢は与えられていないし、第一私には国の利益になるような物事は何も持っていないのだから、時間の無駄だ。
けれど女王は私の関心をソンツに向けようとしている。意図が掴めず、気持ちが悪かった。


この三日間女王の話を方耳に、私はあの日起きた出来事を整理していた。

全てが夢のようで、何にも実感が沸いてこなかったけれど、今手の甲をつねれば夢でないことが分かる。

あの時、私はありえない高さから地面に叩き付けられて、火にあぶられながら、何も痛みを感じなかった。

それをみて村の人達はエルという言葉を呟き、女王は誕生と言った。

私が無事だった時点で何を考えても無駄だと分かっているけれど、それでも私は色々推測して自分の置かれている状況をしっかりとさせておきたかった。



あんな土壇場、もう味わいたくない。



エルについて、詳しく情報を持つ人物が今目の前にいる。
けれど私がエルなのにエルはなんだと聞いたら、即処分されそうでとても聞く気にはなれない。
私は今でも周囲が勘違いしているだけだと身の危険を感じている。
いくらあんなことがあっても…私は別の世界の普通の高校生だから。


そう思う度にあの白い空間を、狼を、ぼんやりと思い出す。
これが夢なら覚めて欲しくて、夢で無いなら助けて欲しくて、何度も目をつぶったり、眠る前に暗示をかけたりしたものの、全く気配を感じることが出来なかった。



強い衝撃を受けたり死んだりすれば目が覚めるかしら。



そんなことを思うのだけど、勇気が出ない。

今この場所が今の私にとっては現実で、高校生だということの方が夢かもしれないとまで思ってしまうからだ。



そんな記憶の混乱をいつも収めてくれるのは、あの狼とのやりとりだった。




「失礼します」



部屋のドアがノックされる。私は返事をし、開錠をうながした。


「お召し物の清めが終わりましたのでお持ちいたしました。部屋は寒くありませんか?」

そう言って若い執事は暖炉の様子を見る。私は首を横に振って大丈夫だということを伝えた。


「もし何かありましたらおよび下さい。暖炉には触れないようお願いしますね」


綺麗になった制服をソファーの上に乗せて執事は部屋を出ようとする。
私は特に意識もせず青年を呼び止めていた。


「この制服でこの国を歩くの?」  


凍った窓を見て質問する。
奥の村では少し肌寒い程度で雪の気配は全くしなかったが、ソンツは想像を絶する雪国だった。


「そのお召し物はエルがエルであることの証ですので。ご安心下さい、この城の中はいつでも冷えることはありませんし、
エルが外に出されることも無いでしょう」


失礼します、といって青年は退室した。  


驚くほど綺麗になった制服を広げて腕を止める。
窓の外は1センチ先も見えないほど吹雪いているのに、この部屋は嘘のように暖かい。
その待遇の良さが逆にこれから起ることへの不安を煽る。
この豪奢な城で、私は一人であることを改めて認識した。
部屋の鍵は、外側からかけられているのでこちらからあけることは出来ない。
幽閉、軟禁、つまりはそういうこと。  


また目を閉じてあの空間を思い出してみる。

頭の中では思い出せているはずなのに、まぶたの裏は真っ暗で、もう何をする気にもなれなかった。  



それからしばらくして仕方なく制服に着替えると応接間に移動しろとの命令が下った。
執事に誘導され広く長い廊下を踏みしめる。
床は大理石で出来た床の上に赤いビロードの絨毯がひかれていて、荘厳な空気を漂わせていた。
大きな柱の下に兵士が槍を持って立っている。
微動だにしないその姿が彫刻のようで通る度に私を萎縮させた。
応接間の前には、そんな兵士が五六人ついていて、厳重に守られていることが一目で分かった。


「どうぞ」


 兵士にドアをあけてもらって私は驚いた。
私にあてがわれた部屋よりも一回り小さく、余計な人間は入れないようになっていた。
本や古地図のようなもので溢れかえっていて、とても応接間とは呼び難い。
まるで物置部屋か何かだ。


窓に手を添えて外を見ていた女王がこちらを向いて苦笑した。


「こんなところでごめんなさいね」
「他では話せないこーんな話やあーんな話をするから外部へのカモフラージュに丁度いいんだよね」  


予想もしなかった少年の声に私は部屋の中を見回した。
すると高く積みあがっている本の間から手がにゅっと伸び、ここだと言わんばかりにひらひら動いた。


「ここ、3人で使ったことなんてなかったから分からなかったけど、結構狭いんだね。よかったらここの本少し引き取ろうか?」


本の向こうで少年が話す。
女王は窓から離れるとため息をひとつついた。


「立ちなさい、キリン。お前が立てば全て済むことです」


そう言い捨てると女王は私を手招きし三人が顔を合わせて話せる体制を作った。
少年は読んでいた本を片手にぶら下げて椅子から降りたところだった。


「紹介しましょう。お前の言っていた村で保護したエルだ」


少年は心から驚いたように身を乗り出してきた。


「へー、本当にエル落ちてきたんだ。お姉さん、名前は?」  


初対面で聞かれるべき質問をここにきて初めてされる。
少し嬉しかったけれど、油断は出来ない。この少年は、女王に横柄な態度をとっても許される特別な何かだ。


「エルに名前なんてあるの?」
私は少年を警戒し過ぎて突拍子も無いことを口走った。私達はお互いの目を見て固まった。
「名前…あるよね?」


  「…岬……」


私がそう名乗ると少年は目を輝かせた。


「ミサキ。綺麗な響きだね。これからよろしく」

 少年に呼ばれたら普段慣れ親しんだ自分の名前が急に綺麗で繊細な音になった。
差し出された手を握ろうと手を少し動かしたところで女王のショールが割って入った。

「我が国のエルに取り入ろうとしないでいただけるかな」
「やだな、そんなつもりないのに」


 少年は行き場の無い手を笑って頭の上にのせた。
コートを羽織っているものの、少年の格好はこの国で偉く浮いていた。
頭にも体にも軽そうな布が重ねて身に付けられていて、雪国というよりは乾いた砂漠にいそうな服装だ。
ソンツの景色と馴染まない少年が女王と親しげに話しているのは酷く違和感があった。


「お前が正式にソンツの民となるのなら話は別だというのに」


女王が笑いながら横目で少年を見ると、少年も不敵に女王を見上げた。


「僕はまだ若いからさ、世界の隅々まで知りたいんだ」
「その隅々で得た知識を隅々に流しているのでしょう。ああ、なんていけないこ」


女王の細い指が少年の細い首に絡み鋭い爪が食い込む。少年はそれに臆することなく話を続けた。


「僕がソンツを裏切れないこと、知ってるくせに」


 少年の視線が私に向けられた。女王は爪をたてるのをやめ、そのままスルリと首を撫でた。
少年の首には8本の爪の跡と、少しだけ血がついていた。


「お前の誠意、実に心に染みましたよ。他の国の誰も知らない小さな村にエルが下りて来るなんて、おとぎ話のようでしたから、間違いであれば首をはねているところでした」
「よしてよ、ねえちゃんが怖がってる」

 
少年は息をついて首をさする。私はその駆け引きを見ているだけで泣きそうになっていた。


「どうです?お前が心待ちにしていたエルは」
「んー…」


 少年は口元に手を当てながら眉をひそめた。
私はなんだか怖くて女王の後ろに身を隠す。少しでも何か不振な物が見つかってエルじゃないと言われたら首が飛ぶ。
 なるべく顔を見られないよう縮こまってやりすごそうとしたら、少年ははっきりとした口調でこう言った。


「時期尚早…だったかな」
「ほう」


女王の声色が変る。

少年は目の前で私の状況を分析してみせた。


「正直エルがここまで人間的だとは思わなかった。確かな情報が与えられない今、ねえちゃんのソンツへの不振は募りに募ってる」
「それならばキリン、お前ならどうしますか」  


女王が尋ねると少年は考える間もなくこう答えた。


「ひとつ。ソンツの信頼出来る同盟国…出来たらシャハル側に位置する小国に一度放して現状を身をもって体験させた後、小国から再度保護する。
ふたつ。偏りのない情報を与え、エルが進んで選択するような国にソンツを作り変える」

「このソンツに力が足りない。そう言うのですか」


 女王の表情が凍る。それでも少年は発言の姿勢を変えたりしなかった。


「ソンツの軍事力はシャハルを超えて今や右に出るものはない。だけど、今エルが求めているものは恐らく間逆の位置にあるもの。
そしたらエルの考えを変えるか、ソンツを今のエルに合わせるかの二択しかない」


 女王は目を細め黙り込んでしまった。
少年が出した選択肢のどちらも好ましくないように見えた。
ソンツにはエルに知られたくない情報があるけれど、一度手に入れたエルをどうしても手放したくない。そんな感じだ。


「エルの存在に目がくらんで早く動きすぎたね。皇太后陛下らしくない。
そもそも、ホクラに開発させた銃を独占しているソンツにエルがそこまで必要とは思えないんだけどなあ。
シャハルとの間で何かあったの?それとも、国内だったりして」
「お前が知ることではありません」


女王がぴしゃりと言い放つ。少年はその様子にご満悦のようだった。


「ねえ。エルの教育、僕に任せてみない?」


 少年が好奇心に満ちた顔でもちかける。女王は眉をひそめながら、「お前に…?」と小さく言った。


「どっちにしろこのままじゃソンツにとってねえちゃんはただのお荷物だ。内も外もどう転んでも、困るんじゃないの?」



「情報を提供しなさいキリン。なんの対価も払わず我が国のエルを研究するなんて、虫が良すぎですよ」




 少年が短く耳打ちをすると女王はこちらに背を向けて、「行きなさい」と私達に命じた。