*第三話 世界の仕組み*






「やったー!ねえちゃんさまさまだよー!」  


少年、改め、私の先生となったキリン君は大きな地球儀と地図と重たそうな本を数冊抱えて満足そうに部屋の中へ入ってきた。
と言っても、「僕、資料取ってくるから!」と言ってから三時間あまり経っていて、私はキリン君がくれた暇つぶしの知恵の輪をただ黙々と解いていた。


「ソンツの蔵書凄いんだよね。皇太后は機嫌の良い時にしか入れてくれないからさ。あ、それ解けたんだ」


キリン君は「凄いね」といって私の手から知恵の輪を取り上げる。なんだか赤ん坊のような扱いを受けた気分だ。


「それじゃあねえちゃん。楽しい話をしようか。はいこれ見て」


 目の前に地球儀をトンと置かれる。その地球儀は全体の半分以上が薄黄色に塗られていた。


「これがリコルド。僕達が立っている星。この天体儀はね、もうあんまり作られてないんだ。その理由がこれ」


 キリン君が左手で器用に半周まわすとようやく色とりどりの大陸が現れた。


「僕達が今いるソンツはここ。その左の比較的大きな国がシャハル。真中の細々としたやつがまあ、その他の国なんだけど、ねえちゃんこれ回して見てみてよ」


 私は言われた通りゆっくりと回してまじまじと見た。  
…何もない。私達がいる大陸以外薄黄色だ。


「これはまだ未開発の地が沢山あるってこと?」


 キリン君は首を横に振る。


「全部砂漠なんだ。僕達が住んでるこの小さな部分以外、全部」


 私はもう一度天体儀を回す。確かに、普通の地図だけで十分だった。
あまりの事実に何も考えず指先でゆらゆらと天体儀を動かすと、薄黄色の部分に所々赤や青で印がつけられ、
その横にメモみたいな添え書きがされているのに気がついた。


「キリン君、これは?」


「それ?僕が書き込んだやつだけど…ああ、そっか。エルはこの世界の文字が読めないんだよね。
それはオアシスと遺跡のポイントなんだ」


「遺跡…」


 キリン君はお兄さんのように、またきらきらとした子供のように口元を上げた。


「その昔、この天体儀が海や様々な大陸で埋め尽くされていた時代があったんだ。
といっても、どれくらい昔だか分からないし、これはおとぎ話と同列に語られることが多いからそのつもりで聞いてね」


 私は首を縦に振る。


「沢山国があると、戦争がそこかしこで起こって、世界は混乱の渦に巻き込まれた。
共進化の原理で軍拡競争が起こる。兵器は威力が増して、人間が扱える物じゃなくなった。
この星は破滅の一途を辿っていた」

 よくある話、と言えばそれまでだけど、それはあまりにも地球に酷似していて、悪寒がした。


「そこで現れたのが、エル。恐らくねえちゃんと同じ境遇の人達だよ」


「同じ…」


「エルの存在が知れたのは大国が小国から奪い取り象徴として世に知らしめたためだと言われている。
エルが落ちた国の共通点と言えば、信仰心が深くて、戦争を望んでいなかったところ。
この膠着状態を脱するため天がもたらしたと人々は都合の良い解釈をし、今度はエルの奪い合いになった。
丁度今みたいにね」


「エルは…神の寵愛の証ってこと?」


「そう。ただの象徴。皇太后はねえちゃんを使って反発する国民の選民意識を煽って統率しようとしてるんじゃないかな。
我々は神に選ばれし民族だーっとか言って」


 象徴になんの力もいらない。ただその国を裏切らない人間であれば。


「皇太后がねえちゃんに甘いのも、ソンツを裏切らないエルを育てるため。
刷り込みたかったけど失敗して、今ねえちゃんをどうするか困ってる。
なぜかって言うと、エルに自国で死なれるのが一番困るから」


神の子を死なせたというレッテルを貼られるのは他の国の士気をあげる結果に繋がる。

第一、あのプライドの高い皇太后がそんな屈辱耐えられないだろう。


「戦争がどうなったかは分からない。あるところで急に途切れてるんだ。
でも、戦争が終わったのも、ここ以外が砂漠になったのも、エルの力だって言い伝えられてる。
それから生き残った遠い昔の僕達のご先祖様は、滅亡してしまった国々の分まで神様に謝るようになった。
それが年に一度、全ての国で行われる大祭。ねえちゃんが落ちてきた時お祭りやってたでしょ」


「うん…」


「あまりにも懸命に祭りを行うから、神様は地上に幸をもたらした。
飢饉の時は果樹を生やし、旱魃の時には川を流した。
人間はいつしか見返りを強く求め、祭を他国との競争道具にした。
ねえちゃん見たでしょあの花火。傲慢だったよね」


キリン君は私が感じていたことをすんなりと言葉にしてしまった。私は控えめにうなずいた。


「あれはソンツが今、どこよりも軍事に長けていることを誇示したかったのと、
エルがどこに落ちても花火を見られるように、ソンツの存在を少しでも焼き付けるようにしたかったんだと思う。
まあ、逆効果だったよね」


キリン君はおかしそうに笑う。私にはそれが頼もしくもあり、また、少し不安にも思った。
キリン君は数日前ここにきた私よりも第三者の目を持ってソンツを見下している。
そうやってソンツのことを見るように、キリン君は、こうして笑って話してくれている今でも、
私をエルとして観察しているんだろうか。


「キリン君は、どういう人なの?」


 私の質問にキリン君は素の表情をほんの一瞬だけ見せた。
私の不安をくみとって、すぐに顔を緩めると、腰につけた袋の一つを取って中身を床に広げてみせた。
簡易地図にコンパス、時計、筆記用具、それに通行証のようなカードもあった。
キリン君が数字の間を矢印が行き来している紙を広げて「これは換算レート表」と言った。
その紙は何度も書き直されていて、恐らくキリン君のメモがそこかしこに加えられていた。


「僕はしがないただのサンファンだよ」


「サン…ファン?」


「世界を行き来する商人ってこと。だからどの国がどんな状態かに僕たちは凄く敏感だし、
顔もそれなりに広かったりするんだ。命が惜しいからね」  


そう言ってキリン君は国の状態と需要と供給の関係について説明してくれたり、
今までどんな危険な目にあったのか笑いながら話してくれた。


「ソンツの皇太后が僕に甘いのは、道化として僕を飼っている意識が強いからなんだよ。
王族は道化の行動を許容することで懐の広さを誇示したがるからね。
少し噛み付く位なら愛嬌で済ませられる。まあ、皇太后の機嫌一つで首がとんじゃうことだってあるんだけど」


キリン君が咽喉元を撫でる。
女王はきっとキリン君との駆け引きを一種の遊びとして楽しんでいる。
命のかかった選択を安全な場所から見下ろす優越感。
女王は自尊心を満足させることに関してとてもよく心得ている印象を受けた。


「僕あんまし命の危険とか好きじゃないから、ここにも長く留まるつもりはないんだ、ごめん」


「そうなんだ…」  


そうはっきり言われると胸にぽっかりと穴が開いた。
ソンツの女王の態度を見ていれば当たり前の選択だと分かるけれど、キリン君がいなくなるのは凄く心細かった。


「ねえちゃん…そんな顔しないでよ」


 キリン君が私の両頬を軽くつまんで笑った。


「大丈夫。エルはどこの国にいっても殺されることはないだろうし、待遇もいいと思う。
このままソンツにいるんだったら僕もちょくちょく寄るようにするよ。
他の国に行っても、余程酷いところじゃなければ顔見に行くからさ」


 キリン君はそう言ってくれるけど、ここで別れたらもう会えない。
根拠はないけれど心の底からそう思った。
だけどキリン君にはキリン君の生活がある。私は涙をやっとのこと飲み込んで堅く頷いた。
キリン君はしばらく私の様子を見て、ため息を一つついたあと、
本当に自然に抱きついて、親が子供をあやすように体を左右に揺らした。


「エルは自己防衛の為に人の保護欲を刺激する…か。あかちゃん見てるみたいだよ」


 困ったなー、どうしようかなー、とキリン君はうんうんうなる。


「ねえちゃん。僕が仮にねえちゃんの近くにいたとしても、
権力に抗うことも出来ないし、死んじゃったりして別れるのは目に見えてるんだよ。
エル自身に危険が及ばなくてもエルの周りは必ず戦争が起こる。
僕はしがないサンファンだから、ごめん、やっぱりどうしようもないや」


「もし」


 私は迷惑だと分かっていつつもキリン君の存在にしがみついた。


「もし私がキリン君を条件にソンツのエルになったら、命の危険もないんじゃ」
「ねえちゃん、それはだめだ」  


キリン君が短く叱咤する。私はその声の鋭さに身をすくませた。


「エルをだしに僕を飼う。僕をだしにエルを手中に収める。
皇太后が一番望んでいることさ。
ねえちゃんが僕を条件にソンツのエルになったら、皇太后は僕の命を握ってねえちゃんを脅す。
エルは絶対に弱みを持っちゃいけない。簡単に国の所有物になってもいけない。
エルは自ら選ぶ力を養わなきゃいけないんだ」


 その時私は山奥の村の少年と少女のことを思い出した。
私が頼ったことで命を落としそうになった二人。
エルであることは疫病神でしかないように思えた。  

キリン君が何か言おうと口を開いた瞬間、部屋の扉ががちゃんと重い音をたてた。
耳を澄ますと廊下がいやにばたばたしている。
キリン君は急いで立ち上がると扉を叩いて外にいる兵士に話しかけた。


「どうしたの?なにかあったの?」


「何もありません。引き続きエルへの指導を」


 兵士は声を荒げてそう言う。
キリン君は「おもしろそうだね」と小声で私に言ってから、小さな袋を取り出して、その中身を暖炉にくべた。
途端、凄い量の煙が部屋中に立ちこめて、
私の意識はすぐに遠のいていった。