*第四話 巣立ち*




扉の鍵を閉められたとき、僕はどこかの国がエルを奪いに来たんだと思った。
ただでさえ銃を手に入れて浮き上がっているソンツに、エルの力が加わったら戦争が激化するのは目に見えている。
シャハルとソンツが勝手にやりあうのは構わない。
だけど、一番のしわ寄せは結局小国にくるから手に負えない。
今ソンツは恐らく臣民達の反発が強く、国がまとめきれていない状態だ。
ならエルをどこか遠い小国に追いやってソンツの内部分裂を待った方がいい。
今戦争を起こされたら飢餓や過労で消滅する小国は数知れない。
けどエルをかくまう小国が問題で、僕は酷く頭をかかえた。
シャハルとソンツの間に散りばめられた諸国達はいずれもどちらかの国の同盟国でありどうあがいても大国の手からは逃れられない。
中立国だって、聞こえはいいけど戦争に関わりたくないだけの日和見だ。
大国に狙われてまでエルを保持しようとは思わないだろう。


「あー…なんで軽々しくあんなこと言っちゃったかな」


さらに僕は頭をかかえる。
今になって思えば、あの山奥の村にエルがいれば最良だった。
その時僕は本当にエルがくるかどうか半信半疑だったし、
僕の言葉を信じてあの裾の長いドレスで山奥に一晩こもる皇太后の晴れ姿を是非見たいと思ってしまったのがそもそもの間違いだった。
エルの話は本当におとぎ話に近く、信じていると子供だと笑われることもあるというのに、あの皇太后はまあ。
信念により勝ち取ったと言っても過言ではない。
そんなとこは嫌いではないが、それで自国を滅ぼされても困る。

僕は延々と続く廊下を歩きながら後ろに背負ったエルの処遇について頭を悩ませていた。
廊下には兵士たちが思い思いに倒れていて、やんわりと僕の道を阻んでくる。


「こんなもので爆睡出来るなんて、幸せな生き方をしてきたんだね。まあ、どうでもいいけど」


僕が暖炉に投げ込んだ眠り草は僕が思っていた以上に効果を発揮したようで、どんなにのろのろ歩いていても注意する者は誰もいなかった。
念のため手持ちのコートでエルの姿を隠してみたりもしたけれど、まるっきり意味がなかったようだ。
僕は肩に頭を乗せたエルを横目でちらりと見る。
エルも、もちろん眠っていた。
普通の子供だ。
甘えて泣いて親を必死に探して、自分を一生懸命守ろうとしている。
こんな力も知識もない子供が、ちゃんと象徴として成り立つんだろうか。
僕にはずっとそれがひっかかっていた。

遺跡から出た古文書に書かれたエル達は、絶対的な何かで世界を魅了した。
少なくとも、今のねえちゃんはねえちゃんだから欲されている訳ではない。
そのおとぎ話のエルと同等の役割を果たすと信じられているから無力でも存在出来ている。


「キウイを空に放す、か」


ねえちゃんがソンツにおいて象徴でいられるのは今だけだ。
シャハルではまた違ったんだろうけど、信仰心の薄れたソンツでは神の子という肩書きだけの子供は必要とされない。
皇太后はいつかなんの力もないねえちゃんに民の怒りを擦り付けて、何のためらいもなく処分する。
いっそシャハルに?あそこは信仰心が根深過ぎてきっと神としてずっと良い待遇をしてくれる。
ねえちゃんとはもう会えなくなるだろうけど、命にはとてもかえられない。
だけどシャハルがエルという弱点を持ったら皇太后は必ずそれを利用して国をまとめあげ、ねえちゃんを総攻撃する……


「あー……」


エル自身が戦争の象徴だからどう策を練っても危険がまとわりついてくる。
それはこの世界を生きる誰でも同じことなんだけど、ねえちゃんには知る権利選ぶ義務が取り上げられていた。
流されるまま死ぬくらいだったら少しでもこの世界の仕組みを知って、自分で歩いて自分の選んだ道で死んだほうがいいじゃないか。
もちろんそれは自分の利益とか、小国のこととかもろもろ考えたあとに気にするようなことなんだけど、
それでも、出来る限りなんとかしてあげたいと思うのは、母性、というのだろうか。


(僕は男の子なんだけどね)


古文書が記したエルという存在は、世界の終末を確かに感じさせる威厳があった。
エルは何よりも優先されて記されていたし、奪い奪われながらもエルが一つ行動を起こせば大国も脅かされる場面がいくつもあった。
僕が長年培ってきたエルの肖像と、今背中にいるエルは大きく違いすぎて、どうしていいのか分からない。
威厳のあるエルなら皇太后を扱うように利用し利用され後腐れなく付き合うつもりだったのに、
ねえちゃんはまだエルにもなれていないあかちゃんだ。
育てなければ、腐ってしまう。


そんなことを考えているうちに謁見の間の裏手側に辿り着いてしまった。
皇太后が今どんな状態かを見に来ただけだったのに、そこには意外にも礼儀正しく跪いている二人の子供がいた。
桜色した髪の少女と、水色の髪の少年だ。
この雪国の豪奢な城には似つかわしくない、春を見ているようだった。


「何度も言っているでしょう。貴方たちの知り合いなどという下の者を、この私が知っているわけがない。
貴方たちの無礼を許して話を聞いてあげているのです。そろそろ引いてはどうですか」


皇太后が怒りを抑えて少年達を諭している。
少年が頭を下げたまま少女に「ここは一旦……」と小さな声で言った。
あんな軽装の田舎者の子供をまず兵士が城内に入れる訳が無い。
皇太后の口ぶりからして二人はどこか別の裏口から侵入したところを兵士に捕まった。
皇太后は寛大な自分に酔うためにわざわざ二人を謁見の間へ通し、願いを聞いてやったけれど、
それがとても聞けるような内容じゃなかった。そんなところだろう。
少年は少女よりも冷静で世間を知っているみたいだ。
だけど、ここで引いたら、残念だけど、もう二度と謁見の間へは入れない。
僕は皇太后に押しくるめられる二人の行く末をただ傍観するつもりだったけれど、
意外にも少女は臆することなく皇太后にこう言った。


「知らない訳ありません!私達が会いたいのは、あのエルなんだから」


僕は息をのんだ。

少女の言葉を引き金に背中で寝ていたはずのねえちゃんが親を見つけたように少女達のもとへ駆け出した。


「おねえさん!」


少女もそれに気付きかけよってねえちゃんを抱きとめる。


「無事で良かった…!」


二人は生き別れた姉妹のように抱き合って、少年は僕と同じように唖然としながら二人のことを見ていた。


「キリン!」


皇太后からお呼びがかかる。
仕方なく僕は柱の影から出ることにした。


「どういうことか説明しなさい」


こういう時のこの言葉は本当に説明が欲しいんじゃない。
この状況を招くことより重要な理由を持って腹の虫を抑えろということだ。
自分になつかないエルと田舎者の小娘の劇的な再会を見せ付けられた皇太后を納得させられるような理由なんて、
作れる自信がない。


「エルが外に出してくれなきゃ自殺するっていうから…仕方なく……」


皇太后の視線が僕から少女にうつる。
変なところで人のいい皇太后は僕を疑わなかったようだ。


「我が国からエルを略奪するつもりですか」


少女はねえちゃんを抱きしめる手をいっそう強めて、皇太后を睨んだ。


「私はエルを奪いにきたんじゃない。おねえさんを迎えにきただけです」


ただの子供のわがままということが、皇太后をいっそう攻めにくくさせている。
作戦なのか、純真なだけなのか……。
どこの国か分からないけれど、うまい手を使ってくるものだ。

子供嫌いな皇太后は大きなため息をついて大儀そうに口を開いた。


「貴方がそのつもりでも、エルを略奪することに変わりありません。
貴方がエルを連れていくのなら、我が国は全力を持って取り戻すことでしょう」


少年の鳶色の目が小さく揺れた。
それは怯えからではなく、身を引き締めた反動のようにみえた。
少女は目をそむけずにまっすぐと皇太后を睨んでいる。
皇太后は少女の青い瞳をじっとみすえて、合点がいったように笑い出した。


「そうですか、そういうことですか。私はその獣のような青い目に見覚えがあります。
あの辺鄙な山奥のとるにたらない村で、地面に這いつくばっていた子供がまたそのような目をしていました。
せっかくここまで来たのです。名乗りなさい。貴方達の祖国の名を」


少年と少女が口をつぐむ。
僕はやっと状況が理解出来た。

この二人は僕が皇太后に存在を教えてしまったあの小さな村の子供。
あの村は山に囲まれ全てから隔絶されていたから国という単位をもたない。
加えてあそこはソンツの領地だ。どうあがいても敵にすらなりえない。
皇太后はそれが楽しくてしょうがないのだろう。
僕はことのなりゆきを傍観しようと二人に視線をうつすと、少年の長い前髪で隠れていた右目が琥珀色に輝くのが見えた。

僕は、事態を変えることにした。


「リーリエだよ」


皆がいっせいに僕を見る。皇太后の腹の内を考えると、愉快でたまらなくなった。


「何がです」


「その子達の国の名前さ」


二人はこれから僕が何を言い出すのか素直に言葉を待っている。
皇太后は僕のほら話よりも僕が意図していることを探る目をしている。
僕は両者に満足していただけるよう話し方に気を配りながら続けた。


「リーリエは聖地サバハのずっと東にある人口千人にも満たない小国だよ。
あそこにはエルの亡骸を祭った遺跡が綺麗に残ってて、砂漠のど真ん中なのに水も花も豊富にある聖域のようなところなんだ。
そこを発見した宣教師が住み始めてから徐々に人口を増やして宗教国家になった。
オアシスはとても重宝されて普通は遺跡探索の中継地点にされるんだけど、手前に聖地サバハがあることと、
そこから距離があまりにも離れていて、利用価値がないから一部の研究者にしか知られていないんだ」


「なるほど……そんな異国の民が何故あのような名前も無い村に滞在していたのですか」


僕は得意げに微笑んでから少年のもとへ歩み寄り、皇太后にも聞こえる大きさで話しかけた。


「ねえ、君。正式な場でそんな格好、失礼だよ。
前髪をちゃんと上げて、皇太后陛下に君から理由を話すんだ」


少年は戸惑った様子で顔をあげた。
僕が何を考えているか理解したんだろうか。
何かを決意したように顔を引き締めて、長い前髪を耳にかけた。

少年の目は予想通り左右で色が違っていた。
皇太后は感心したように「ほお」と声をもらした。


「これは失礼しました皇太后陛下。
私達リーリエの民はその環境から国が密集する地に深く興味を抱くことがあります。
この大陸に足を踏み込み、サムトに立ち寄りましたところ、一人のサンファンと知り合い、
旅の同行を許してもらいました。
あの山村までの道のりは険しく、村についた頃には私達の体力が限界に近付いておりました。
丁度祭りも行われるということだったので村人の好意に甘え、滞在しておりました」


皇太后はおもちゃを見るような目で少年を眺めていた。
僕は皇太后の興味がそれないうちに話をもちかけようと口を開いた。


「ねえ、皇太后陛下。エルをリーリエに渡したら?」


「納得のいく理由を説明しなさい」


こう答える皇太后は決して機嫌が悪くない。僕は極めて簡素に答えることにした。


「一部にしか知られていない小国だから」


皇太后は手に持っていた扇で口元を隠し僕の言葉の意味を考え始めた。
これも皇太后の好む遊びの一つだ。
僕が見つけ得る利点は自分の手を汚さずエルに苦い経験を与えられること、
力で負けることがなく取り返しやすいこと、
エルを奪ってもらうことで分かりやすい敵が出来て国をまとめやすい、
つまりローリスクハイリターン。
加えてこの少年の存在がどれだけ市民の意思を一つにするか、皇太后には分かるはずだ。  

皇太后は扇の下で笑みを浮かべ、急に物腰を柔らかくした。


「分かりました。目をつむりましょう。早く連れていきなさい」


あまりの潔さに三人は目を円くして身動き取れずに皇太后を見ていた。
空気が動かないことに苛立ちを感じた皇太后が「早く」と急かしたので、
僕はまだ状況が把握出来ていない少女の手を引いて、裏口の方へ向かった。


「エル」


皇太后に呼ばれてねえちゃんが振り返る。




「苦しい思いをしても耐えるのですよ。必ず、助けに行きますからね」



そういう皇太后の声は優しく、まるで母親のようで、ねえちゃんは少しだけためらっていた。