*第三話 同郷*





暖かい暖炉の音が聞こえる。体を少し動かすと柔らかい感触に包まれて保育器の中を思い出した。
目を薄く開けると部屋の中は暖炉の明かりと影が揺らめいて絵本の中に迷い込んだようだった。
暖炉のそばに人影が見える。どうやら本を読んでいるようだった。
布で頭も口元も隠してしまっているけれど、あのまなざしは間違いなく私を水から引き上げてくれた人物と同じものだ。

……助けて、くれたのだろうか。


体を起こそうと腕に力を入れてみるけれどうまく体を支えきれない。
もう一度ベッドに体をうずめると、男は読んでいた本を床に伏せ、私の枕元まで椅子を移動させた。


「寒くはないか?」  


私は首を縦に振る。
男は大きな手で私の頭を撫でた。


「もう少し休んだ方がいい。眠れないのなら話し相手になろう」


私はまだ少し痛む喉をおさえ、酷くかすれた声で聞いた。


「私、どうなったの……?」


男は私の不安を即座に汲み取ったのだろう。落ち着いた声でこう言った。


「ここはサムトの民家だ。お前がエルということもこの家の住民は知らない」


その言葉に私は固まった。男はそれも簡単に見通した。


「私は人間を物として扱う趣味はない。お前を誰かに引き渡すことはしない。殺しもしない」


その言葉は、エルがどういう扱いを受けるか知っているような口ぶりだった。


「私を水に沈めた男は、生きていることも確かめずに好都合、迎えに来ると言ったの。死体に用があるみたいに」


男はつぶやく私を哀れみの目で見た。


「エルの死体はどんな価値があるの?私はみんなから命を狙われるの?」


私は無差別に狙われる恐怖に押しつぶされそうだった。
今まではエルの死が政治的に不利だと教えられ、どんなに取引をされても命に関わることはないだろうと思っていたのかもしれない。
もし国に処分されるであっても、時間に猶予があるし、今はユズリハ達もいる。
どうにかなると心のどこかで思っていたのかもしれない。

けれど今回は違った。

理性など感じなかった。

乱暴に容赦なく狩られた。

その事実が怖かった。


「リコルドには様々な国がある。その中には貧困で自由がきかず、文化も教養も持てない国がある」


男は静かに話し始めた。


「その国民は倫理観に欠ける場合が多い。倫理観があっては生きていけない環境にあるからだ。
結果、粗野で野蛮になり、都合の良い捨て駒にされる。それがあの男だ」


私は黙って続きを聞いた。


「需要があればあの男のような者はいくらでも現れる。その需要を絶たなければ、命を狙われ続ける。
では、その需要はどこからくるのか。それは、王族なんだ」


「王族……?」


「古い文献にエルの死後を記したものがある。その呪術的な内容は世に退屈しきった王族達にはたまらないものだったんだろう。
王族達はエルの再来に狂喜し、生きたエルを望む一方で、不慮の事故で命を落とすエルの死体も望んだ」


エルは唯一無二の存在ではなく、消耗品とみなされている。
その事実が恐ろしく、私は枕を固く握った。
この人は私が納得するように言葉を飾らず必要な事実だけを話してくれている。
だから、この人が必要でないと判断した部分は私が聞かなければ、聞き出せない。
おそらく、気を使って話してくれているんだろう。

とても嬉しいけれど、私は聞かずにはいられなかった。


「エルの死体の呪術的な処理ってなに?」


男は息を呑んで押し黙った。私は何も言わずに男の目を見つめ続けた。

静まり返る部屋に暖炉の音だけがパチパチと響く。


時間だけが過ぎていく。


これ以上はきりがないと考えたのか、男は肩の力を抜いてこう切り出した。


「屍蝋という言葉を知っているか」


「しろう……?」


「死体を外気から遮断し、ある一定の湿度と温度の元長期間保存しておくと稀に蝋状になるんだ。
屍蝋は儀式において重要な役割を持つ。
神の子と呼ばれるエルの屍蝋は希少で国一つ動かすほどの高値で取引されることも多い」


「待って」


私はたまらず口をはさんだ。


「私達の前のエルの時代は随分昔と話に聞いたわ。
でも貴方の話では今でも普通に取引されているように聞こえるの」


男はためらいなくうなずいた。


「今でもエルの屍蝋は残っている。昔、遺跡探索者が遠い東の地で屍蝋の宝庫を見つけた。
そこは砂漠の真ん中にも関わらず水も花も豊富にあり、遺体を保存するのに申し分ない環境だった。
屍蝋の噂は瞬く間に広がり盗賊に奪われ間接ごとに捌かれていった。
現在取引される物は手足の指が多いな。形が分かりやすく保存もしやすかったんだろう。
五体欠けることなく保存され、なおかつ綺麗な状態で公開されているのは、聖地サバハの遺跡くらいだ」


聖地サバハ。

キリン君がいつか言っていた場所だ。
この人が言っている遠い東の地は、もしかすると、リーリエのある場所なのかもしれない。


「私をそばに置く気はないか」


男は突然そう切り出した。私は予想外の申し出に目を丸くした。


「邪魔はしない。ただ守らせてくれるだけでいい」


私はその言葉に混乱するばかりだった。
目的がはっきりしない。何か裏があるのではないか。疑ってしまう。


「貴方はどんな人なの?素性が分からないと、信用できない」


男は少し驚いた顔をした後、懐から金の懐中時計を取り出しそれを差し出してこう言った。


「私はシスイ。キリンと同郷のサンファンだ」




懐中時計の裏には繊細な花の細工と共にキリン君のシンボルの石があしらわれていた。