*第五話 建国*




ナダはサムトに比べて狭く、暗く、雨の後のアスファルトのような色をしていた。
街は静かで裏路地も多く、身を隠すことに適した場所だと思った。
私が空気にのまれ口を閉ざしていると、シスイさんが静かな声で一言、たわいもない言葉をかけてくれることがままあった。
私の不安や緊張をゆるめようとしてくれているのだと気付いたのは彼の眼を深く見据えた時だった。

シスイさんの目は驚くほど黒い。比べると、私の目の方が茶色く見えるほどだ。
けれど日の光を強く反射した時にだけ見せる赤い輝きは厳粛な場で沈黙する重い宝石のようだと思った。


「キリン君とは小さい頃からの知り合いなんですか?」


私がそう聞くとシスイさんは首を横に振った。


「オリクトは鉱山を所有している国だと認識されているが実際は違う。
山々の間に出来た小さな集落全てを無理にまとめて一つの国としている。
キリンが住んでいた場所は丁度中心に位置する比較的大きな集落で、私が住んでいた場所は人がよりつかない裏の隅だ。
私とキリンが出会ったのはキリンが七の時、私の主人がキリンの主人に依頼をした時だよ」


「主人?」


聞き慣れない言葉に私が首をかしげるとシスイさんは深くうなずいた。


「三月ほど前に亡くなったが、キリンには模範とする主人がいた。
キリンの主人は実に有能で貴族からの依頼を受けることが少なくなかった。
そのうちの一人が私の主人だった。その頃のキリンは警戒心が非常に強く自ら近付いてくることがなかった」


「ストーーーップ!」


私がシスイさんの話に聞き入っていると後ろからこの街に似つかわしくない明るい声が響いた。
私とシスイさんが同時に振り向くとそこには荷物運搬用のらくだを連れたキリン君とハル君とユズリハがいた。


「どうしてみんな僕の過去を話したがるかなぁ。みんなにだって知られたくないこと沢山あるでしょうよ。
どんな人でも受け入れる、それがリーリエの強みになるんだからそういうこと止めてよねもう!」


「え?キリン君?どういうこと?」


私が混乱しているとユズリハが困った笑みを浮かべてこう言った。


「交渉、条件付で保留にされちゃいました。リーリエを信頼に足る国にしてきなさいって」


「要するにリーリエは新しくて小さくて統一性のない怪しい国だって判断されちゃったんだ。
まあ、当たり前だけど、いくらエルの処理に困っててもそんな怪しい国に渡しちゃったら王様としてのメンツが立たないってこと。
だから既存の国十カ国と同盟を結んできなさいって」


「十カ国…」


キリン君の補足に絶望を覚えるとシスイさんが横で「難しいことじゃない」と言った。


「大国同士が植民地争いをし、都合のいいように小国を分割したためリコルドで認められる国は現在五十六カ国ある。
そのうち多額納税者が強い権限を握っている国は十八カ国。
その十八カ国に関わりを持ち、現状に不満を抱いている国は九カ国だ」


「リーリエと同盟を組むことによって生まれるリスクはまだ知られていないから、少し汚い手になるんだけど、
貴族を何らかの情報で買収、または納得させて国会でリーリエとの同盟を推し進めてもらう。
小国は出来るだけ多くの国と繋がりたいところがほとんどだ。
リーリエという共通の小さな同盟国があったら表向き大国を裏切らずにコネクションを広げられるから、多分みんな協力してくれるんじゃないかなあ」


「買収…」


私とユズリハは茫然とつぶやく。


「心配しなくていいよ、買収は僕がやる。未来の理想郷に投資ってことで」


そう言うとキリン君はおもむろに地図を広げ、赤いペンを取り出した。


「ここ」


ソンツとシャハルの間、中立国が集まる場所よりさらに下の、何も書かれていない平野に赤丸をつける。
私達が首を傾げると、キリン君は得意げに笑った。


「ここにリーリエを作ろう」


「リーリエを、つくる?」


私とユズリハは目を合わせた。


「そう、リーリエは名前だけじゃ終わらせない。少数民族や奴隷を受け入れる平和の象徴、理想郷にするんだ」


その言葉にシスイさんが顔をあげた。


「平和の象徴…ミサキさんや赤ちゃんやエルが平和に暮らせる国ってことだよね」


ユズリハが目を輝かせて聞く。キリン君は大きくうなずいた。


「最初は小さくてもいい。平和の象徴として樹立し、各国と対等な関係を築く。
そして少しずつ、確実に差別を無くすよう呼びかける。
ミサキとハル、それにユズリハがいればリーリエのイメージ付けは目をつぶるより簡単だよ」


ことの大きさに実感が沸かず、半ば助けを求めるように私はハル君を見た。
ハル君はうつむいてじっと地面を見据えていた。


「でも、この場所って、人の住める場所なの?」


ユズリハが地図の赤丸を指でなぞって聞く。
キリン君が口を開く前にシスイさんが声を出した。


「そこは土質が良く気候も穏やかで人が住み良い土地だ。
一度ソンツ・シャハルの両国が開拓し、人が住んでいた時期もある」


「深い森を抜けなきゃ行けないから隣国との交流が持ちにくくて、結局サンファンを頼らないとやっていけないし、
風土病やら流行り病やら謎の天災やらが多くてめんどくさくて両国とも開拓やめちゃった空き地なんだよね」


「今は人が踏み込むべきではない聖地として定められている」


「そ、そんなところに移住なんて出来ません!」


ユズリハが慌てて二人の説明を止める。
シスイさんはそんなユズリハを見て地図の一部分を指でなぞった。
丁度ソンツの右下にある山々の中に、赤い文字が書かれていた。


「フォンス……ここ、私達の村…?」


「そうだ。お前達の村は開拓の余地が無いとされていた山間にあった。
人が近付かない、ある種の聖地だ」


そう言われてユズリハは地図上の村の名前を不思議そうに指でなぞった。


「実はね、風土病とかは現代医学でなんとでもなるんだよね。
謎の天災もやり過ごす技術はいくらでもある。
ソンツとシャハルが今になっても開拓し直さないのは手間と利潤が釣り合わないからなんだよね。
その点、僕らは隣国の影響が無い方がいいし、サンファンと強い繋がりを持ってくれた方が僕達もありがたいし、
何より、そんな聖地に住む民族って、とっても神聖な感じでしょ?」


言葉は軽いが確かに象徴に重きを置くならこれ以上の場所は無い。
私も地図を覗き込み赤丸の中をじっと見つめた。


「それで話は戻るんだけど、僕が各国の金に汚いおじさん達を買収している間、君達には説得を頼もうかと思って」


「説得?」


首を傾げる。キリン君は水色のペンで小さな国々を丸していった。


「この辺りの国かな。国境で散り散りになったリアマという民族がいるんだ。
本当に少数の民族でね、リーリエに移住しないかって勧誘してきて欲しいんだ」


「移住…」


「もちろん今からあの平野を人が住める環境にしていく。
だけどそれには少し時間がかかるから、元々遊牧民の少数民族を集めて少しでも早く形にしたくてね」


「…リアマは国の扱いに意義を唱え、解放を何度も訴えている。しかしソンツが民族浄化の代わりに散り散りにした過去がある為国は許可することが出来ない。
もし固まったリアマがソンツに反抗すれば国が裁きの対象となり中立を取り消される恐れがあるからな。
リーリエは今、ソンツに保護されている状況化にある。利害の一致で上手くやれば同盟も組むことが出来る…か」


「さすがにいちゃん、話が早い。ねえちゃんの一件があったから本当はこの話するつもりなかったんだけど、
にいちゃんも協力してくれるってことだし、大丈夫だよね?にいちゃん」


そこまで話が進むと、今までずっと黙っていたハル君が顔をあげて口を開いた。


「僕は反対だ」


あまりにも静かで、確かな意思に辺りの音が止んだ。
穏やかな彼の口から何かをはっきりと否定する言葉が出るなんて思いもよらず、私はハル君の曇りの無い瞳を見た。
少し顔を動かすと、他の三人の顔が見えた。
ユズリハとシスイさんは少し驚いたようだったけれど、キリン君は動じていなかった。


「国は大きくすればするほど歪が起き犠牲が出る。
僕達は既存の国でミサキさんを…僕達を受け入れてくれる国を探すことが出来れば、リーリエの名前は必要ない。
多くを望み過ぎたら、破滅するだけだよ」


「じゃあハルは赤ん坊を見捨てるべきだ」


キリン君の声が辺りに響く。その言葉の鋭さに胸がズキリとした。
ハル君は、そのことが分かっていたように複雑な表情を見せた。


「今、たった一人の赤ん坊のために十カ国を巻き込もうとしている。元を正せばミサキのこともそうだ。
静かに暮らしたかったのなら、ソンツに来るべきじゃなかった」


「キリン」


意外にも、その言葉をとめたのはシスイさんだった。

キリン君の言うことはいつも正しい。その証拠に、ハル君は表情を一層暗くする。


一呼吸置いて、キリン君が口を開く。


「君は、赤ん坊を見捨てられない」


ハル君はその事実を突きつけられると言い返す言葉も無くうつむいてしまった。


「赤ん坊は見捨てない。ミサキさんも、関わったからには絶対に最後まで責任をとる。
だけど、国を作るつもりは無い。
同盟は赤ん坊を引き取ったあと、解消すればいいし、ミサキさんが暮らせる国が見つかったら、リーリエの名前も消す」


「それがどんなに困難か、君なら分かるはずだよ」


「国を作ることに比べたら…」


そこでハル君は黙ってしまった。


「ねえ、ハル」


暖かな風が吹いたようだった。

声の方向を見ると、ユズリハが穏やかに笑っていた。


「私、生まれてからずっと一緒にいたから分かるよ。ハルはどんな境遇の人も一人でなんかいさせない。
それが解決に繋がらなくても、不幸な結果になっても、その人の傍にいて一緒に考えて、絶対孤独にさせなかったよね」


ハル君が困ったように顔をあげた。ユズリハはさらに暖かく笑う。


「ハルみたいな国、私作ってみたい。きっとミサキさんも赤ちゃんも、私やハルだって胸を張って暮らせる。
犠牲という言葉は怖いけど、やれるだけやってみようよ」




 ハル君は返事をしなかったけれど、その後、話をさえぎることはしなかった。