*第六話 ソンツ女王*
「それじゃ、また別行動になるけど上手くやってね」
翌朝、キリン君は軽く身支度を整えて明るく手を振った。
私とユズリハはうまくうなずけなかった。
そんな私達を見て何かを思い出したのか、キリン君は両手をぽんと合わせた。
「そうそう。赤ん坊のエルの一件で、今ソンツの女王が近くまで来てるんだよね。
今日隣のビルケで派手な行進パレードやるみたいだから見るといいかもね。特にユズちゃん」
「私?」
ユズリハは驚いて首を傾げる。
「リーリエは右手にねえちゃん、左手にハルを置くユズちゃんが頭になるんでしょ。
女王のなんたるかをその目で見てくるといいよ」
そう、結局はキリン君もシスイさんもオリクトの人間。
手伝ってくれはしても本当の民にはなってもらえない。
ハル君には頼み辛くて、私は論外ということで消去法によりユズリハがリーリエの代表になったのだ。
ユズリハは相当嫌がったけれど、自分が言い出したことだと責任を感じ、受け入れてくれた。
「じゃあにいちゃん。ねえちゃん達をよろしくね」
キリン君がそう言うと、シスイさんは静かにうなずいた。
ビルケまでの道のりはそう長くはなかった。
馬車で一時間程度ゆられるとすぐ国境に着いた。けれど、その後の道のりが果てしなく長く感じられた。
ハル君が通行証として髪留めを出すと、管理者が血相を変えて道を塞いだのだ。
キリン君のシンボルで止められたことは一度もなかったから、私はとても驚いた。
「ビルケは閉鎖的な国なんですか?」
なるべく姿が見えないように後部座席にいた私は隣のシスイさんに小声で聞いた。
シスイさんは馬車から降りて事情を話すハル君と役人のやりとりをカーテンの隙間から眉を潜めて覗いていた。
「ビルケはサムトへの通り道として国を興している。サンファンを受け入れないという話は聞いたことがない」
一緒に窓を覗こうとすると、シスイさんは身にまとっている布の一枚を外し、私の頭の上に被せてきた。
「もしかしたら馬車を降りることになるかもしれない。念のためそれを頭から羽織って待っていろ」
そう言うとシスイさんはなるべく中が見えないようにドアを開け、馬車から降りた。
ユズリハは前、つまり外の席にいるので話に参加せずとも懸命に聞いている。
私はシスイさんの言うとおり、布を頭から被り、結局カーテンを役人の顔が見えないぎりぎりのところまであけ、
なりゆきを見届けることにした。
シスイさんが役人とハル君の間に入ると、ハル君が困ったように説明しはじめた。
馬車越しだと声がくぐもって、特にシスイさんと役人の声は聞き取れなかったが、ハル君の話は辛うじて聞き取れた。
どうやらソンツの女王のパレードが行われる為出入りを禁止されているようだ。
しかし私の目の前を慌しそうに何台もの馬車が駆け抜けていく。
シスイさんが恐らくそのことを追求すると、役人は決まり悪そうに目をそらし、また説明を続けた。
ハル君とシスイさんがその説明を聞いて驚いた顔を見せる。
三人で話し込んでいる隙をついて、ユズリハがドアを開けて後部座席に乗り込んできた。
「今どうなってるの?」
私が聞くと、ユズリハはハル君とよく似た困った顔をした。
「なんかソンツの女王様はサンファンが心の底から嫌いみたいで、パレードに近付いて欲しくないみたいです。
直接命令されている訳じゃないみたいですが、暗黙の了解があるみたいで…女王様ってそんなにサンファン嫌いなんですか?」
ユズリハは首を傾げる。ユズリハは女王と対面した際サンファンのキリン君とのやり取りを少しだけ見ている。
見ようによっては仲が悪くも見えるけれど、今の説明だと視界にすらいれたくないという感じだ。
女王とキリン君の悪趣味な遊びを見た私にはあまり本当のようには聞こえない。
それとも、キリン君が特別なだけなのだろうか。
私も一緒に首を傾げた。
「あれ、シスイさん時計出してる」
ユズリハの言葉に反応して窓を覗く。シスイさんが出したのは私に見せてくれた金細工の時計だった。
あれにはオリクトの屑石が付いている、紛れもなくサンファンの証だ。
私とユズリハはますます首を傾げるばかりだったけれど、
役人は時計を裏表じっくり見て大輪の細工を手でなぞりながら重く一度うなずいた。
「話がついた。馬車を置いていくことを条件に入国させてくれるそうだ」
シスイさんはユズリハを先に下ろし、私がなるべく影に隠れるよう誘導してくれた。
「すみません、ありがとうございました」
ハル君が馬車の主人に深く頭を下げると、私達は足早に国境を越えた。
パレードが行われる市街地へ向かう途中、シスイさんは一言も話さなかった。
ハル君も街を珍しそうに見るユズリハの質問に答える以外笑ってはいたけれど、どこか気まずそうにしていた。
一通り街並みを楽しんで一息ついたユズリハが、急に何かを思い出したように目を見開いた。
「そういえばさ、びっくりしたね!」
その言葉にハル君が驚き肩を跳ね上げる。ユズリハはそれを見てきょとんと首を傾げた。
「どうしたの?ハル」
「え、きゅ、急にユズが声をあげるからびっくりしただけだよ」
ユズリハはハル君の様子に違和感を感じていたけれど、ハル君が先をうながすと素直に続きを始めた。
「さっきのこと。入国出来ないかと思った。大掛かりな取締りをするほど女王様ってサンファンのこと嫌いなんだね」
ハル君がシスイさんのことをちらっと見る。シスイさんは難しそうな顔をしてなお黙っていた。
「僕が村に住む前はそんな話聞いたこともなかったけど、今は凄く有名な話みたいだね。ここ最近で何かあったのかな」
「私がソンツにいた時はキリン君のこと凄く気に入っていたみたいだけど」
私がそう言うと、シスイさんは少し驚いたような顔をした。
「女王はキリンと言葉を交わしたことなどないはずだが…」
今度は私達三人が驚く番だった。
「むしろ女王はサンファンとの謁見を一切許されていない。
キリンですら女王と話すことは禁じられているはずだ」
シスイさんが言うと同時に頭を突き抜けるようなファンファーレが鳴り響いた。
音の方向を見ると深い群青色の真ん中に黄金の菊があしらわれた旗が勢いよく掲げられた。
大勢の兵、その中心には一人用の大きな籠が担ぎ上げられていた。
籠といっても、私が山の中で女王と乗った籠ではない。
パフォーマンス用に姿が見える、大きな椅子に天蓋がついているような、こじゃれた籠だ。
両脇と前を覆う黒いレースのカーテンのおかげで女王の姿は近くでないと見られない。
私達は兵の行進に圧倒されながらも籠が近づくのを待った。
「あれ?」
歓声の中、ユズリハが驚きの声を上げた。
「あの旗、シスイさんの時計の花と同じ模様」
ユズリハの言葉にハル君の肩がはねた。シスイさんの時計なら私も間近で見せてもらった。
オリクトの屑石と、大輪の金細工。ユズリハの言うとおり、ソンツの国旗と同じ模様だった。
ハル君はソンツの国花を知っていたから、国境を越えた後、ずっと黙っていたのかもしれない。
私とハル君とユズリハがシスイさんの方を向いて言葉を待つと、シスイさんはいつもと変わらず落ち着いた声で話し始めた。
「あの時計は友好の証として皇太后からもらったものだ。
皇太后は贈り物で人を縛ることをいたく好んでいてな。
恐らく、キリンもソンツの国花があしらわれたシンボルを持っている。
ただ、キリンの性格から使うことはないだろう。
私は今回研究者として各国を赴いていた為、持ち合わせのシンボルがこれしかなかったんだ」
そう言って金細工の時計を臆することなく取り出して見せた。
なるほど、ソンツのシンボルを持っていればサンファンだからといって追い返すわけにいかなかったんだ。
ハル君は心底安心したように肩の力を抜いて「そっか…そうだよね」とつぶやいていた。
「もうすぐ女王が前を通る。もう少し近づいた方がいいんじゃないか?」
シスイさんはそういうと私達の背中を優しく押した。
私が振り向くと、シスイさんは少しだけ顔を緩めて手を軽くあげた。
私達が人の間を縫って前に出た時、丁度女王の籠が目の前を通るところだった。
目線を兵の鎧から徐々に上へ持って行き、黒のカーテンの隙間から見えたものは、
あの見慣れた女王ではなく、10才くらいの小さな女の子だった。
「あれが、女王!?」
私達は三人で驚いていると、豪奢なドレスや王冠等の装飾品を身にまとった女の子は大きな黒い瞳で私達を一瞥し、すぐに前を向いた。
「そうか、そういうことか」
ゆっくりと遠のいていく行進と、思いのまま散り散りになる人ごみの中でハル君がそうつぶやいた。
「ユズ、一年前、村の皆に内緒で山の端まで見に行った花火、覚えてる?」
「ああ、あの遠くの国でやっていた花火だよね。音が少し聞こえたから確かめに行った。
真っ暗な中一面お花畑みたいになってて綺麗だったなあ」
ユズリハがその光景を思い出して嬉しそうにしている横でハル君は珍しく少し取り乱していた。
「僕はあの花火、ソンツ自体の記念日に打ち上げられたものだと思っていたけど、あれ、女王の戴冠式の花火だったんだよ」
「戴冠式…?あんなに小さな女の子が!?」
「なるほど、新しい女王が即位したことを知らなかったんだな」
人もまばらになったところにシスイさんが私達のところまで歩いてきた。
混乱する私達は全てを説明してもらおうとシスイさんに視線を送った。
「ソンツの現女王、名はユキホ。皇太后の実子だ。年は…11になる」
「11…」
私とユズリハはそれ以上何も言えなかった。そんな私達に気を使ってか、ハル君は補足を入れる。
「珍しいことじゃないんだ。幼いうちから政治の場に慣れさせるため、引退した皇太后の政治を代行する。
血統を第一に考える国には当たり前のことなんだ」
「現に、シャハルの政治も元老院の指示が主だ。
キリンは、ユズリハの即位への偏見を無くそうとこのパレードを見るように言ったんだろうな」
ハル君とシスイさんの説明にユズリハがうろたえる。
私は事実そういう歴史を学んでいるからなんとなく納得してしまった。
ハル君のいうように、その手の話は珍しいことじゃない。
ユズリハは私達の反応を見てその事実を受け入れようと押し黙ったが、やがて、とても言い辛そうに呟いた。
「でもそんなの…」
「…そうだな、間違っている」
ユズリハを肯定したのは意外にもシスイさんだった。
私は助けてもらってから今までシスイさんと話してきたけれど、シスイさんがここまでハッキリと自分の意思を言うところは見たことがなかった。
「急ごう。ソンツがサムトと交渉をすればエルの処遇について答えを出さざるを得なくなるだろう」
私達はソンツ女王のパレードに背を向けて歩き出した。