*第七話 リアマ*




キリンからよく聞いたおとぎ話のようなエルの存在。エルとは聡明な神の子なのだと思っていた。
しかし麻袋から生まれたそれは小さな背を丸め生の汚さを体言するかのように酷く咳き込み続けた。
朦朧とする中ワラを掴む様にただ目の前の私に救いを求めた。
人々を救うはずのエルが、母鳥を無くした雛のように。
エルとは不幸を押し付けられた、ただの子供なのだと知った。
出来ることなら、救ってやりたいと思った。
私にとって、エルは、犠牲者の象徴だと思ってしまったから。


「サムトの王にどの位の猶予を貰った?」


私がそう尋ねるとユズリハが遠慮がちに答えてきた。


「二週間。よくても駄目でも二週間後に場をもうけると言ってました」


「二週間か…」


「僕が思うに、同盟が十カ国に満たなくても王は好意的な答えを出してくれるつもりだったんじゃないかと…
ただソンツが交渉に行ったとなると…」


「一週間。一週間で十カ国きっちり揃えないとソンツに奪われる」


状況は芳しくなかった。キリンはサンファンを揃え同盟までの前段階を分散させるつもりだろう。
だが契約はキリンの交渉術がない限り成功しない。
簡単に言っていたけれど、買収という行動はサンファンとしての信用を失うリスクある大博打だ。
それを十カ国相手に立ち回るには時間が足りなさすぎる。


「リアマとの交渉は僕がやります」


「ハル君!?」


ハルの申し出にミサキが驚きの声を上げる。
建国に難色を示していたハルが自ら行動に出ることが意外だったのだろう。
ハルもそれが分かってか複雑そうな顔をした。


「リーリエを作ることには賛成出来ません。
ただ一刻も早く同盟を組む方法がそれしかないのなら、リアマを説得する人間と国と交渉する人間二手に分かれた方が良いと思うんです。
僕は少数遊牧民の出なので地に縛り付けられ、孤立することがどんなに苦痛か分かります。
交渉しやすいかと。ユズはシスイさんと一緒に国王に謁見」


「え、でも…」


ハルの分担にユズリハが不安そうな声を上げる。
ハルはそれに気付いてか少し気をゆるませ、顔をほころばせた。


「大丈夫。ユズはただリーリエの顔としてそこにいればいい。
本当はミサキさんもシスイさんと一緒の方がいいんだけど…」


「今国王にエルを見せないほうがいい。噂も広がり、狙われやすくなるだろう」


私が意見するとハルは深く頷いた。


「それに小国は表立ってエルと関わりを持ちたくないはず。
なら同盟の交渉はただの国として行った方が話が通ると思います」


そこまで言ってハルは一度うつむいた。
そして、申し訳なさそうな面持ちでミサキの方を見た。


「…この間は僕のせいでミサキさんを酷い目に合わせてしまいましたが、あんなこと二度と起こさせません。
不安だと思いますが」


「不安なんてそんな!一緒にいれるだけで十分だよ」


ミサキは心の底から思っているようにハルに伝える。
ハルは困ったように、少しだけ嬉しそうに笑った。


「行こう。私達は二日で8カ国のアポイントメントを取る。そして端から順に一日二カ国。
その間にハル達はリアマに話を通しておいてくれ。一日一回必ずサンファンの仮巣へ顔を出す。
何かあったらサンファンに言伝を」


「了解しました。ユズリハを…よろしくお願いします」


ハルはそう言ってミサキの手を引いて街中へ消えていった。
ユズリハはそれを複雑な面持ちで見送り続けていた。


「心配か?」


そう一言聞くとユズリハは無理に笑って見せた。






   狭い街を小さな城を目指してただ黙々と歩く。
私達が回ろうとしている8カ国は合わせてもサムトの面積に満たない小さな国の密集地だ。
国から国へ行くには馬車を必要とするが、街から城までは歩いた方が早い。
ユズリハの体力も考慮して初めは馬車を手配するつもりだったが、
一刻も早くアポを取りたいというユズリハの申し出から、限界がくるまでは街の中を徒歩で歩くことになった。
大丈夫かと声をかける度にユズリハは明るく大丈夫だと答えた。
初めは無理をしているのではと思ったが、二カ国まわるうちにユズリハは基礎体力が人より高いことが分かった。
三カ国目、人気のない路地をいくつも抜けると、それまで考え事をしているらしかったユズリハがぽつんと言葉を漏らした。


「ハルの民族の証って、あの両目なんでしょうか」


私は歩みを止めた。


「ハル、人に両目見せること凄く嫌がるんです。
もしリアマと対等に話をする為に民族の証を出すなら、両目しかないのかなって思ったら、本当に行かせて良かったのかなって。
何も力になれないけど、隣にいた方が良かったんじゃないかって」


そこまで言ってから、ユズリハはあわてて両手を大きく振った。 


「違うんです、分かってるんです。ハルが決めた事、一人でも大丈夫ってこと。だけど」


両手を萎れさせ、またうつむく。


「私自身、何も知らないことが歯がゆくて」


自分の不甲斐無さを悔いているような、そんな声だった。


「ハルから詳しい話を聞かされていないのか」


「あの村にいてその事を深く追求する人もいなかったし、何より、ハルがその話を嫌がったから…でも…」


「外に出て周囲と民族前提で話す機会が多くなり、自分も知るべきだと思った」


ユズリハはまた素直に頷いた。


「村にいた頃、ハルの両目のことをどう受け止めていた?」


その言葉にユズリハは顔を上げた。
少しだけ、表情が明るくなった。


「ガラス球みたいで、とても綺麗だなって。
ハルは片目を絶対に隠していたけど、私は両目揃った時の方が好きだった。
笑うと両目がきらきらして、綺麗で優しかったから…」


「それでいいんじゃないか?」


私の言葉にユズリハがきょとんとする。私は言葉を続けた。


「ハルは両目を晒す姿をユズリハに見せたくなかった。ならハルにとっての自分は周囲にではなくユズリハにある。
お前はそれを守ればいい」


ユズリハはまだ理解出来ないというように首を傾げ続けた。
恐らくハルは境遇を知って哀れむ者よりありのままを受け止め一緒に生きていける者を欲しているのだろう。
何も知らず、ただ受け入れる場所。それは誰もが理想とするものだ。
それを形にしたハルと、場所そのものであるユズリハを見て、キリンもリーリエ建国などという夢想を実現しようと考えたのかもしれない。
もし実現したのなら、それは唯一無二の聖地になる。

ユズリハが変わらず、素直でいられたのなら。


「早く終わらせて二人と合流しよう」


ユズリハの頭に軽く手を乗せ、再び歩き始めると、
「シスイさん、ありがとう」と小さな声が聞こえた。



***



 私はハル君に手を引かれ城とは反対の、街の外れを目指し、歩いていた。
ハル君が手を離さないのは、前のようなことがあるといけないから。
あの件は、私だけでなく、ハル君の心臓も抉ったんだろう。握られた手から緊張がひしひしと伝わってきた。
それなのに、ハル君は話しかける度に柔らかく笑う。緊張を悟られないように。
私がハル君にしてあげられることは、気付かないふりだけだった。


「シスイさんはソンツの国花が刻まれたあの時計を持っている。
元々ソンツに押し付けられているから、そのソンツから支援を受けているリーリエがリアマを預かるといったらすぐに手放してくれるでしょう。
同盟も、監守という立場で結べば八カ国のうち三カ国は確実だと思います」


「三カ国…」


私が呟くとハル君は「大丈夫ですよ」と笑った。


「まず三カ国です。八カ国のうちリアマの数が多い三カ国はその分手をやいている。
移住にも同盟にも快く応じてくれるでしょう。無責任に手放してはソンツに顔向け出来ませんから。
問題は数の少ない他国です。少ない分移住は目立たず行えます。ですが、同盟は利潤と負担が釣り合わない。
恐らく二カ国は承諾しない。ですが残り三カ国は同盟を結んだ三カ国から協定を持ちかけられるはずです。
仲間は多い方が各国の負担が軽くなりますから。そこでソンツへの体裁を繕う為に同盟を結ぶ。恐らく二カ国。
これで五カ国です。二週間で十カ国と言っていたキリンなら一週間で五カ国集めてくるでしょう。
ソンツの女王がサムトへ向かっていることを知って言っていたので、もしかして十カ国集めてくるかもしれません。
僕達は、その後押しが出来るように、早めにリアマを説得しましょう」


そう言ってハル君は少し足を速めた。時間に押され、何かが吹っ切れたような、そんな明るさだった。


1時間歩いて辿り着いたのは、街の外れにある、もう一つの小さな街だった。
と言っても、集合住宅をもっと小さくした感じで、リアマはここに隔離されているのだと思った。
今いる国は八カ国の中で3番目にリアマが多い国。
リアマは本当に少数民族で、さらに散り散りにされたことがうかがえた。
リアマは小さな敷地内で、特有の民族衣装をまとい、息を潜め生活をしていた。
敷地を狭めるように、重く黒い鉄格子が辺りを囲う。
17時になると閉まるのだとリアマの老人が教えてくれた。


「街へ出掛けてもボロ布、残飯くらいしか売ってもらえなくてな。国税で養われている身分、もちろん働かせてなどもらえない。
私達を文化として政府が保護しているというがそれは建前だ。このまま飼い殺されて、リアマは絶滅するだろう」


唯一ある広場のベンチに座り、無邪気に子供が遊ぶ姿を眺めながら、
リアマの長はやつれた口元を懸命に動かし、途切れ途切れに話してくれた。
私達は失礼のないように、その脇に立った。


「何も与えられなくていい。リアマが望むことは、以前のように人知れず暮らすこと」


「では」


ハル君が言いかけると長はそれを手で制した。
その手は骨と皮だけで出来ているのではと疑う程に細く、皺が刻まれていた。


「だが今の暮らしより怖いことがある。それは民族浄化だ」


私達は言葉の重さに息を呑んだ。


「リアマがひとところに集まればソンツは必ずそれを利用し、国の士気を高め、我等を滅ぼすだろう。
老いぼれはいい。リアマの誇りを抱いて死ねるのなら本望だ。
だが、子供達を見るとな」


そう言って長はまた子供達に視線を戻した。私達も子供に視線を移す。
ぼろを纏い、何もない広場でただ駆けっこをして遊んでいる。何も知らず、ただ生きることが楽しい。
そんな様子だった。


「リーリエは武力を持たず、どこも攻めることのない国として宣伝します。
今後、リアマだけではなく、シャハルに追い詰められた民族も集め、誰もが平等に、差別されることのない国になることでしょう」


「それは…夢物語だな」


長がそう呟くと、ハル君は長い前髪をキリン君のピンで留め、色違いの両目を長に見せた。
長はそれを見るや否や、そうか、いや、そうだったのかと言葉を漏らした。
私にはその意味が分からなかったけれど、二度目のハル君の両目は、日の光がきらきらと反射してとても綺麗だと思った。


「リーリエには僕がいます。…エルもいます。攻められた時には対処法もいくつかあるでしょう。
大きな賭けになると思いますが、どうか力を」


「お主の話を聞かせてくれぬか」


ハル君の両目が大きく揺らいだ。


「そうしたら、条件を呑もう」


しばらく子供の無邪気な笑い声が響いた。
ハル君は、とても悩んでいる様子だった。
長はその間も決して急かしたりはせず、子供達をただずっと眺めていた。
やがて16時の鐘が鳴り、日が落ち始めると長は重い腰を上げようと前へかがんだ。


その時、ハル君が息を吸った。



「定住を強いられたのは、僕が13歳の時でした」


長はその言葉を聞くと、ベンチへ座り直し、ハル君を見上げながら話を待った。


ハル君は、長を見ずに、ただ影を伸ばす建物を見て口を動かしていた。




横目で見ても、ハル君の表情は下ろした前髪に隠れて見えなかった。