*月*




もし逆だったら、ソンツがエルを独占していたら、どうだっただろう。
ソンツはシャハルより優位に立てた優越からエルを使おうだなんて思わないだろうし、シャハルもその信仰から他国のエルを奪おうだなんて考えない。
少なくともこんな最悪な事態にはならなかったのではないか。


(どうだろうな)


 僕は苦笑して首を小さく振った。


ソンツが持つシャハルへのコンプレックスは時に利害を超えて重要視される。
損害を出し欲求を満たすことは文化人としてのステータスにもなるのだという。
シャハルはソンツの抑止として動くのみ。それはそれぞれの国の象徴である太陽と月の関係によく表れていると思う。
だから、シャハルが適度にソンツの自尊心を満たしてやれば、リコルドはもっと上手く回るのだと冗談交じりにキリンが言った。


けれど僕は知っている。

シャハルはソンツの影を巧みに利用し、身を潜めているだけで、その実鷹の飛翔よりさらに高い矜持と選民意識を持っている。
そのシャハルが最も重きを置いている信仰をソンツが踏みにじり利用している時点で和解等夢のまた夢。
損害を出し自尊心を満たす文化人であるソンツは、命を賭し戒律を守るシャハルをどう評価するのだろうか。
もし、エルをソンツが独占していたら、シャハルは特攻して心中するに違いない。


計18カ国と交渉したことに加え、僕達はなお同盟国を探し続け、少数民族を説得したことにより、
リーリエはリコルド一のマイクロステートという地位を返上した。
結果、リーリエの名がシャハルに知れ、先日、サンファンを通して僕に一通の手紙が届いた。


「行くの?」


早朝、静かに旅立とうとした僕をキリンが止めた。
手紙には差出人が書かれていなかったが、封蝋で察しが着いたのだろう。
僕は静かにうなずいた。


「王の婚姻の儀にリーリエを代表して参加するよう書かれてたんだ。国を盾にされたら断れない。
シャハルのエルのことも気になるし、内情を探ってくるよ」


僕の言葉一つ一つに警戒していることが表情から見て取れる。
当たり前だ。リーリエの代表としてユズではなく僕が指名されたこと、ユズの歌のこと。
勘のいいキリンなら警戒する。


「僕は昔、シャハルに住んでたんだ」


キリンは特に驚いた様子も見せず黙っていた。


「カタフニアは民族浄化で悲劇の民としてのイメージが出来上がった。僕の存在に気付いた王女が凄く気にかけてくれて、その時の縁で呼ばれたんじゃないかな」


「ハル。一つだけ確かめさせて」


キリンはまっすぐ僕の目を見た。 丁度、リーリエは実現するか僕がキリンに問いかけたのと同じように。


「君はシャハルに特別な情を持っているの?」


僕はキリンをまっすぐ見返した。


「シャハルはカタフニアの民族浄化を黙認した。それを僕は忘れたことがない。
確かに王女個人に対して感謝はしているけど、シャハルは到底許せそうにない」


「個人に対しては王女だけなの?今の王は?」


「僕は今の王とは面識がないよ。 あの通り、戒律を重んじる国だから、僕を人として扱ったのは王女だけだった」


キリンは少しの間考えをめぐらせていたけれど、すぐに了解してくれた。
王女のことについて、もっと質問や注意を受けると思っていたから意外だ。


「僕達は今まで通りソンツの動向を見ながら同盟国と民を増やす。
もし動きがあったらそっちは助けにいってあげられないからへまはしないでね」


「大丈夫。シャハルについては唯一君よりも知っているからね。ユズをよろしく」


キリンは初めて子どもの顔で苦笑した。



***




「取れた」


そう言って真澄ちゃんは何かを机の上に置いた。
私は見ていたガラスケースから目を離し、机にかけよった。


「取れたって…あー!これ私が持ってたお守り!?どうしてそこに!」


私が制服のポケットをひっくり返しているのを見て真澄ちゃんが苦笑した。


「お前、こんな立体物制服の浅いポケットじゃ収まりきらないだろ…
向こうの隅の方に落ちてたのを今朝黎明が拾ったんだよ」


何故今日に限って寝坊したのか。それは昨日やすりがけに夢中になってしまったからである。


この数日間私達は沢山のことを話した。
昔のこと、今のこと、これからのこと。
何故私達がリコルドにきたのか。選定基準はなんなのか。
話しても結論が出ない議論だったけれど、気付いたことも沢山あった。
一つは、真澄ちゃんは現実のことをよく覚えているのに私はきっかけがないと思い出せないこと。
もう一つは、真澄ちゃんはあの白い部屋の存在を知らなかったこと。


そんなことを話しているうちに議論が尽きてしまい、
黎明が気をつかって持ってきた工芸品の材料によって、ここはたちまち体験教室になってしまった。
この空間が実験室に似ていることもあり、制服姿で向かい合っていることもあり、
まるで泊り込みで授業をしているようだ。
そんな油断から、私は人のお守りを落とし、結果開けられてしまうという取り返しのつかないことをしてしまった。


「昔から好きだったよなこういうの。鍵とか仕掛けのある箱に手紙入れて置いとくとか」


そう言われてみればそうかもしれない。
寄木細工を改めて見ると、お母さんが昔結婚指輪を大切に入れていた箱にそっくりだった。
この惨事も、仕掛けがあったら解くという習慣を真澄ちゃんに植え付けてしまった私の責任なのかもしれない。


「でもそれ私のじゃない」


そう言い終わる前に、真澄ちゃんは箱をひっくり返してそっと上にあげた。


金属が擦れあうような音が静かに鳴った。
お守りの中身は六枚の金貨だった。


「金貨?裏が月桂樹で表が…これは…月下美人…か?」


真澄ちゃんは金貨をくるくると回す。
私も一枚とって裏表見てみると綺麗な金細工のようだった。


「これ、私見たことある」


それもごく最近。この部屋の中で。どこだったか。


「あ」


思い出した。
私は金貨を持ったまま膨大な量の武器を順々に確認していった。
真澄ちゃんは私の行動を見て意図が掴めたようで、「向こう探してみる」と入り口の方へ走っていった。


黎明がホクラと武器の成り立ちを説明していた時に見た気がするのだ。
同じ細工がしてある武器を見ればどこの国の物なのか思い出せるかもしれない。
そんなことを考えながら探していると向こう側から「あった」という声が聞こえた。
そういえば真澄ちゃんは本屋で本を探すのもうまかったなと思いつつ側へ駆け寄った。


真澄ちゃんが指をさしているのは、綺麗な銀の戦斧だった。


「これだ。柄のところに月桂樹、刃のところに月下美人の装飾がほどこされてる。
でもこれ装飾はされてるものの、この時代の他の武器に比べると形状が単純で使い勝手悪そうだな…観賞用…なのか?」


真澄ちゃんのその呟きで私はそれが何であるのか完全に思い出した。
観賞用なんかじゃない。それは過剰に使用され、ホクラの首をしめた物。


「シャハルが初めてホクラに依頼した武器だ…。わざとソンツの物より性能を落として作らせたの」


ソンツの紋章、菊、太陽を象徴する花。
そこから連想すれば月を象徴するものがシャハルの紋章であることは当然だった。


ユズリハが大事に持っていたお守り。シャハルの金貨が六枚。どういうことなんだろう。


私が考えをめぐらせていると、黎明が階段を降りてくる足音が聞こえた。
私達は急いでその金貨を寄木細工の中にしまって、黎明を待った。
扉が二回ノックされる。


いつも通り重そうな音をたてて開いた扉の向こうには、正装した黎明の姿があった。


「岬、迎えがきている」


それは争いが起きる合図だった。