*第七話 手紙*






「これさ、僕があげたんだよね、兄ちゃんに」


ユズリハの手から懐中時計を取り、裏と表をまじまじと見てキリン君はそう言った。



私達はシャハル側に位置する小国の仮巣でハル君を待つことにした。
シャハルの王が口にしていた目的。それはソンツにエルを所持させないこと。
どうやらシャハルはこれ以上エルを手に入れようとは思っていないようだ。
何故かをキリン君に聞くと、シャハルの信仰上、神の子は複数必要ないからだと返ってきた。
なるほど、エルの見方がソンツとは違う。格式高い宗教国家なのである。
エルが小国に留まり、保護されているうちは危害を加えてはこないだろう、というのがキリン君の推論だ。


ユズリハはシスイさんとの別れから塞ぎ込んでしまい、ずっとシスイさんから預かった布と懐中時計を握り締めて離さなかった。
それは単にシスイさんとの別れが悲しかったのではなく、シスイさんがユキホを守ったこと、
ソンツの王と対等に取引をしていたこと。
何より、あれだけリーリエに協力してくれたシスイさんの何一つ分かっていなかったことがユズリハの胸を締め付けているようだった。

リーリエに近づいた理由、考え。
聞きたいことは山ほどあるのに、シスイさんはもういない。


そんな気持ちを汲み取ってか、仮巣で席に着くと同時にキリン君が話を始めてくれたのだった。
キリン君は菊の細工を表にして懐中時計をテーブルの真ん中に置いた。


「兄ちゃんとは本当に色んな話をしててさ。初めは僕が教えてもらってたんだ。
世の中の仕組みとか、政治の話とか、勉強のこととか。皇太后と兄ちゃんがいなかったら今の僕は無かったと思う」


二人が出会ったのはキリン君が七歳の時だとシスイさんが言っていたことを思い出した。
キリン君に止められて詳しいことは聞けなかったけれど、確かその頃のキリン君は警戒心が強くて自分からは近づいてこなかったと言っていた気がする。
そんな頃からキリン君を支えてきたと考えると、二人の絆が商人と取引先というだけでは片付けられないものだと分かった。
思い返せば、キリン君はどんな時もシスイさんを信用していた。
だから私達は、キリン君とシスイさんが同郷のサンファンだと信じて疑わなかった。


「僕が世の中のことを知り始めて、主人と比較的自由に行動することが許されてからは兄ちゃんが外の世界を知りたがった。
中立国のこと、遊牧民のこと、遺跡のこと、エルのこと。
兄ちゃんは僕の話すこと全て楽しそうに聞いてくれたし、僕が疑問に思ったことは書物を出して調べてくれた。
僕も感動を共有出来ることが嬉しくて仕方なくて、楽しいことはみんな兄ちゃんに話に来てたな。
ユキホはそんな僕が嫌でサンファン嫌いになったんだろうけど」


確かに、狭い城の中で大半を過ごすユキホには外の誘惑を運んでくるサンファンが憎くて仕方なかっただろう。
自分が慕っている人を誘惑するなら尚更だ。


「兄ちゃんはユキホほどじゃないけど、国に縛られている人だったから、よくサンファンに憧れてた。
だから僕は兄ちゃんの誕生日にこの時計を贈ったんだ。ちょっと息抜きに家出する時通行証代わりに使ってって。
こんな役の立ち方するとは思ってなかったけど」


菊の細工と共にあしらわれたオリクトの屑石。
これは紛れもなくキリン君の物だった。

確かにこれがなければ国を行き来出来なかっただろうし、私も信用しなかったし、ビルケも通れなかったし、同盟も結べなかっただろう。
リーリエを建国出来たのも、シスイさんの存在のおかげだった。


「シスイさんは、これから、私達の敵に、なるの?」


ユズリハの不安そうな声に、キリン君は首をどちらにも振れなかった。
変わりに、懐から布袋を取り出し、中身をテーブルに出した。
私をホクラへ送り届けると言った時にシスイさんがキリン君に預けた布袋だ。
テーブルの上には鋭い勲章が散らばっていた。


「兄ちゃんはソンツのジェネラル…つまり軍事司令官だ。本名はケイセツ。皇太后の実子、ユキホの兄にあたる人だよ。
皇太后が軍を引き連れる時、必ず兄ちゃんが側にいるから、祭の日に皆会ってるはず」


「あ…」


私とユズリハはシンプルな菊の国章を見て同時に呟いた。
最初のあの村でユズリハとハル君を突き飛ばして私の腕を捻り上げた軍人。
あれがシスイさんだったんだ。


「兄ちゃんは政治漬けのユキホとは違い、ソンツを客観的に見られる位置にいた。
ソンツの腹心でありながら、その在り方に疑問を持ち、解決策を常に考えていた。
ハル達がねえちゃんを連れてソンツを去った時、糸口を見つけて飛び出したんだと思う」


国を無断で飛び出すということは、地位を全て捨てるということ。
今戻ったらジェネラルの地位を剥奪され追放されるのではと私が心配すると、
キリン君は笑って「そうなったらリーリエで引き取れるのにね」と冗談交じりに言った。


「兄ちゃんはジェネラルをやめられないよ。嫌になるほど優秀だし、ユキホがそれを許さない。
ジェネラルには政治に関わる権利が無いから、兄ちゃんが戻ったところでソンツの方針が大きく変わることはないと思う。
酷だと思うけど、次に会う時は覚悟しておいた方がいいかもしれない」


シスイさんの優秀さは今回の奇襲の一件で嫌というほど身に染みた。
私達が真正面からぶつかっても、歯がたちそうにない。
ソンツと対立するということが具体的な形となって重くのしかかってきた。


私は首を横に振り、違うことを考えようと試みた。
シスイさんがシスイさんとして行動した理由。
ジェネラルとしてでは掴めなかった糸口。
リーリエの存在。

リーリエを建国することでソンツを変えようとしていたんだろうか。



……どうやって?


考えれば考えるほど分からない。
私達がそれぞれ考え事をして黙っていると、花が飾られた可愛らしいグラスジュースが私達の前に静かに置かれた。
私達が顔をあげると、仮巣の主人が「匿名の方からの贈り物です」と言い、仮巣の奥の方へ戻っていった。
キリン君が何かに気付いたかのように立ち上がりあたりを見回す。
私達も同じように見回したが、変わった様子は何も無かった。


「あれ、私のグラスだけコースターがある」


ユズリハが不思議そうにグラスを持ち上げるとキリン君はメモ用紙と小瓶を取り出し、コースターを手元に手繰り寄せた。
コースターについている水滴を布で拭き取り、メモ用紙をあて、黒い粉を振り掛ける。
それを指で満遍なく広げ強くこすると、文字が浮かびあがってきた。


「密約の時によくやる手なんだ。ユズリハ宛の手紙だよ」


キリン君がユズリハにメモを差し出すと、ユズリハは困ったようにメモを見つめていた。


「ごめん、キリン君。読めない…でもこれソル語じゃないからきっとシャハル側からきた手紙なんだよね?」


ユズリハがそう言うと、キリン君は意外そうに「あ、ごめん」と謝った。
ユズリハの言葉を受けてグラスの花を確認すると、真澄ちゃんが言っていた月桂樹の葉が混ざっていた。


「明日の朝、馬車で迎えに来るって。シャハルの元老院から」


私達は顔を見合わせた。
シャハルは今王の婚儀の最中だ。リーリエからはハル君を代表に出している。
このタイミングで、この方法で、ユズリハを迎えにくるというのはどういうことなのだろうか。


「元老院は王直属の政治機関だ。元老院が国事を行う時は王の承認が必要なんだけど、シャハルの王はまだシャハルに着いていないはず。
これは本当に密約かもしれないね」


キリン君はそう言って月桂樹の葉をくるくると回した。


「これ、本当に元老院のものなの?」


正直この紙一枚では差出人が分からない。もしかしたら、偽装かもしれないと私はキリン君に疑問を投げかけた。
するとキリン君は手に持っていた月桂樹の葉を差し出して、もう一方の手でランプを指した。


「それ、ランプにかざしてごらん」


言われるままにかざしてみる。
信じられないことに、その月桂樹の葉には細かい装飾が刻まれていた。


「他国には真似出来ない手法だよ。元老院はこれが出来る職人を何人か囲ってそれをシンボルにしているんだ」


説明を聞きながら葉をユズリハに渡すとユズリハは万華鏡を見るように感嘆の息を漏らした。
嬉しそうにしている様子をじっと見ると、ユズリハは慌てて葉を置いた。


「すみません、こんな時に。ただ、凄く懐かしいなぁって思って」


「懐かしい?」


今度はキリン君が首を傾げる番だった。


「ハルが昔よく作ってくれたんです。
羊の散歩してる時に珍しい花や草を見つけて持ち帰るとせっかくだからって。
こんなに細かい物じゃなかったですけど」


それを聞くとキリン君は口に手を当てて何かを考えているようだった。


「……とにかく、三人でシャハルに行こう。
僕達の動きはむこうに筒抜けみたいだし、このまま逃げても皇太后に狙われる。
シャハルの王とユキホは兄ちゃんを通して休戦協定を結んでいるしシャハルの国内で大きな動きは両国出来ないはずだ。
今回呼ばれているのはユズリハだけだから、むこうでハルと合流してハルとユズちゃんは元老院に、僕とねえちゃんは王宮の外で待機しよう」


私達は無言で頷いた。