第四章 黄昏





ソンツの印象は明けない夜。暖かい城から外を覗いても雪に阻まれて何も見えなかった。
その閉塞感から開放された時、私は朝日を感じた。

何故そんなことが頭を過ぎるのだろうか。
それはシャハルまでの道のりが終わらない夕日を思わせたからだった。


元老院から送られてきた馬車は二カ国過ぎた辺りで使えなくなり、残りはラクダでの移動になった。
一人一頭、らくだと従者が用意されていたけれど、キリン君は丁重に断り、自らたずなを取った。
恐らく、バラバラにされることを危惧してのことだろう。
キリン君は乗り心地を確かめてから私の手を引き、前に座らせた。
キリン君のたずなをひく腕が私を支えてくれて、なるほど、これならいざという時に落馬しないわけだ。
周りには私達を囲むように従者のらくだが4頭ついて、私の前には従者の後ろに乗るユズリハの姿があった。

ユズリハは、周りの景色を目に焼き付けるように見ていた。
ユズリハの桃色の髪は砂漠には溶け込まず、存在を浮き立たせている。
青い瞳はまるで別世界を写しているようだ。

そんなユズリハのお守りの中身。


シャハルの金貨。


あれはハル君が持たせた物なんだろうか。
ただのお金を、お守りと言って持たせるのだろうか。


「キリン君」


私が小声で話しかけるとキリン君は首を傾げてそれに応えた。


「金貨がお守りになることってある?」
「お守り?」


キリン君は唐突な質問に驚いたようだった。


「そうだなー…記念硬貨だったらあるかもね」
「記念硬貨?」
「例えば即位記念とか在位何十周年記念とか」
「あ、そっか…」


その年でしか製造しない通貨なら希少価値が高くお守りになる。
ハル君が旅をしていた時に手に入れたものをユズリハにあげたのかもしれない。


「キリン君、シャハルの金貨持ってる?」


そう聞くとキリン君は片手で手元の荷物を探って、取り出した金貨を私の手のひらに乗せてくれた。
表には月桂樹、そして裏には月下美人ではなく、価値を表す数字が刻まれていた。

ユズリハのお守りとは違う。やはり記念硬貨だったのだ。
何故かほっと胸を撫で下ろし、金貨を握り締めていると、キリン君が不思議そうに上から覗いてきた。


「金貨のお守り、どこかで見たの?」


当然の質問だ。私はユズリハとの距離を確認してさらに声を小さくした。


「ユズリハからもらった寄木細工のお守り、偶然中を見ちゃって。シャハルの金貨が6枚入ってたの。
ずっと大事にしてたって聞いたから、何か別の意味があるのかなって思って。
でもこれとは違う装飾だったからキリン君の言うとおり記念硬貨だったみたい」


私が金貨を返すとキリン君はそれをくるくると回してその意味を考えているようだった。


「六枚か…六枚の金貨…どこかで聞いたことあるんだけどなぁ…お守りになるようなこと…
だめだ、思い出せない」


六枚の金貨…今まで気にならなかったその数字をキリン君の口から聞いて、何かとても引っかかるようになった。
私もその数字について何か知っている気がする。聞いたことがある。
だけど一度思い出せないと感じてしまうといくら考えても思い出せず、
私とキリン君はもやもやした気持ちを抱えながら砂漠を進んでいった。


一日で一番短い夕焼けの時間。
私達は朝も夜も体験しているはずなのに、夕焼けを一番長く感じているようだった。

それは旅の疲れとか、これからのこととか、考える区切りの時間ということもあるけれど、
太陽が沈みゆく瞬間、世界が夕焼け色に包まれて、その景色に言葉を失いやがて来る夜をじっと待っているからだった。

目を細めて景色を見ると、懐かしい感じがした。
ソンツを後にした時の夕日。サムトを目指していた時の夕日。リアマの居住地での夕日。…シスイさんと別れた時の夕日。


キリン君はこの夕日を見て何を思っているのだろう。
ユズリハは、何を思っているのだろう。

ただラクダの歩く音と風の音だけが耳をくすぐった。




シャハルに着くと道路が舗装されていて馬車が普及していた。
砂嵐は酷いけれど、露店もちゃんと出ていて、二大大国の名に恥じない賑わいを見せていた。
遠くにはモスクを思わせる巨大な建物が見えた。恐らく、あれがシャハルの王宮なのだろう。
丸みを帯びてどこまでも横に広く、高く尖ったソンツの城と間逆の印象を受けた。

私達は再び馬車に乗せられ、城の近くにある宿泊施設に案内された。
降りるのは、私とキリン君の二人。ユズリハはそのまま元老院に謁見しにいくそうだ。
ハル君と合流しないままユズリハを謁見に向かわせるのは気がかりだと猶予の交渉をしたけれど、相手は頑なに拒んだ。
恐らく、王が婚儀の後始末に追われている隙に密会したいということなのだろう。
キリン君は相手に契約書を作らせ、信頼するサンファンを一人つかせることでユズリハと王の謁見を許した。


キリン君自身が近付きたがらない国家の中でサンファンがどれだけ動けるものなのか。
やはりシスイさんが抜けたことは大きな損失だった。


私達は案内された部屋の窓からユズリハを見送ると、向かい合うように座り込んだ。
極度の緊張と長旅の疲れが今になって出てきたのだ。


「僕達、結局二人でシャハルにきちゃったね」


キリン君が感慨深そうに言う。私は無意識に窓の外を見た。


私が初めてエルについて知った時もキリン君とこうして二人で向かい合って、私は時々窓の外を見ていた。
あの時窓は吹雪によって阻まれ、部屋の中、キリン君だけが私の唯一の拠り所だった。
縋る私をキリン君は赤ちゃんのようだといいながらも自律するよう諭した。


エルは自ら選ぶ力を養わなければいけない。


あの時キリン君が言った言葉だ。
今選ぶことが正しいことかはまだ分からないけれど、動くべきだと思った。
窓からは夕日が差し込んでいた。


「キリン君、私、シャハルのエルと話がしたい」


私の確かな意思に、キリン君は目を見開いた。


「シャハルの内部で何が起こっているのか、正しく知るにはエルと話をすることが一番だと思うの」
「確かにそうだけど…」


そう呟くとキリン君は姿勢を正し、真っ直ぐ私を見つめた。
決して今まで私に向けられなかった、サンファンとして交渉に入る時の目だ。


「婚儀が終わってシャハルのエルは国民ですら目の届かないところに監禁されているはず。
僕達が公式に謁見を申し込んでも会わせてもらえないことは分かってるんだよね」


私が頷くとキリン君は短く息を吸った。


「だめだ、危険すぎる」


その鋭さは、以前私がソンツのエルになると言った時と同じものだった。


「ハルとユズリハが国へ侵入して無事に帰れたのは相手がソンツだったからだ。
シャハルは侵入者を決して許さない。シャハルの法を破るということは、神への冒涜。
下手をすれば拷問され続け、死を願うことになる。それが他国のエルであれば尚更だ。
得られる利益に対して危険が大き過ぎる」


シャハルにしてみれば、他国のエルなど邪教の権化でしかない。
それはシャハルの王に殺されかけて分かっていることだ。
けれど、私は後には引けなかった。


「元老院と王が対立しかけている気がするの」


キリン君はその言葉に口をつぐんだ。恐らく、キリン君も気にかかっていたことなのだろう。


「王の単独奇襲、元老院の密約。互いが隙をついて出し抜こうとしている。私、元老院がリーリエに接触してきた理由をずっと考えてたの。
他国にはないリーリエの強み。それはやっぱりエルだ。
密約とはいえ元老院の名で謁見を手配したということは、そこで国と国とのやりとりが行われるはず。
宗教上エルを二人所持出来ないシャハルはリーリエに同盟を申し込むんじゃないかしら」


そこまでは恐らくキリン君も考えていたことだ。その証拠にキリン君の表情は変わらない。

私は次の一言にかけていた。


「王は私を始めから殺そうとした。それにはなんらかの理由があると思う」
「なんらかの理由?」


そこでキリン君は初めて私の話に興味を示した。
それもそのはず、王が私を殺そうとした理由は王自身の口から告げられているし、それ以外の理由なんて思い浮かばないはずだ。
私も、殺されかけなければ分からなかっただろう。
あの時の感触を思い出し、私は首を右手でさすった。


「あの時、私についていた血は全て王の物だった。手袋には血が染み込んでいて、咳き込む度に吐血していた。
そんな状態であの森に飛び込んでくるなんて一国の王がすることじゃない。
王は一人で必死に何かを守っているような気がするの」


それは本当に勘でしかなかった。
間近で見た赤い目、それが大きく揺れた。
ただそれだけのことだけど、そこに王の人としての感情を見たような気がするのだ。


「リーリエはきっと選択させられる。それはリコルドを動かしかねない選択だと思う。
その同盟がどういう意味を持つものなのか判断するためには、王の行動の意味を見過ごしてはいけないと思う」


キリン君は少し考えて、やるせない気持ちをぶつけるように私に抱きつき、小さな声で「分かった」と言った。